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2005年記憶から、少子高齢化と家庭と会社と自分
誰でも年をとるし、い病気やケガをするかわからない。たとえば私の場合、一人っ子で兄弟は居ない(本当は上に姉がいたが、姉が小さい時に他界、下に弟か妹が生れるはずだったが母の体の事情で産まれてくることが出来なかった・・・)そうなると将来両親が年をとって、動けなくなったり、病気になった時に面倒を見られるのは私だけ、少子高齢化と一言だけど一人で二人を支えなければならない、実際その場に立たされて始めてわかる。そんな体験話です。

近年両親は年をとり、父は糖尿病、白内障、心筋梗塞、脳梗塞、母は目の片方が何らかの原因で(原因不明、自律神経か?)全視界の下の半分しか見えない目の病気。ここ2年ぐらいで目に見えて「年をとって衰えたな~」と思うようになっていた。いつかは病気などで介護が必要になる。私には頼れる兄弟はいない、結局面倒を見られるのは私だけ。その時果たしてどうなるのか?漠然とだが数年前から不安に思うようになっていた。かといって何か準備をしてきてもいなかったし、何をしていいかもわからなかった。

4年前、夏の暑い日、朝突然母が目の異常を訴えた!「片方の目の上半分が見えない!真っ暗だ」という。病院に行ったらすぐ入院。検査の結果は、眼球は異常は無し、血管が詰まっている様子も無い、神経自体と脳の異常も無い、はっきりとした原因は特定できなかったが、結局結論は精神的なものか自立神経失調症と判断されて、目の神経の栄養となる治療を施された。母は、1ヶ月ほどの入院で完全には視力は回復しなかったもののある程度見えるようになって退院できた。
この間、糖尿病、白内障、心筋梗塞、脳梗塞を克服してきた父と、はじめて母の居ない1ヶ月を暮らしたわけだが、多少の呂律が回らないことと、激しい運動が出来ないことを抜かせば普通に暮らせる父とはいえ、食事の内容と時間だけは規則正しくしなくてはならなかった。
それまでは母がやっていた事だが、女房と私とで食事の面倒を見ることになった。
この時始めて現実的に「もし両親が動けなくなったら」という不安が生まれてきた。

そうしてある日・・・この時が来た。

5月の後半から私の生活が変わった。以前から母の目が悪かったが、また少々悪くなった。本当は医師からは入院を勧められたが母だったが、「父の面倒を見なければならない」と言って入院することを断った。その代わり治療をするために毎日通院することを医師から告げられた。それから私は一ヶ月ほど母のことを病院まで送る生活が続いた。ようやく目のほうも落ち着いてきて、医師より「一週間に一回程度の通院で良いです。」と告げられ、母も私も「やれやれよかった」と言って安心し落ち着いたころ、父は病魔に犯されていたのだ。

2005年7月16日父の身に下血が起こる。翌17日、一晩中泊まらない下血に不安になり、救急で診察してもらったら、肛門からの触診で、「肛門のすぐ近くに腫瘍が有るようです。検査をしてみないと判らないですけど。」と言われ、すぐ入院することになった。そうして7月25日、直腸がんと診断された。家族がガンと診断されてその日からまた生活が変わった。告知、精神的な支え、介護、お金、仕事、いろいろな問題が出てくきた!そのとき私は選択をしなくてはならなかった。

手術のとき、病人に必要とされたとき、危篤のとき、どうしても行かなければならない場合があった。しかしそれを許さない会社(社長)がいた。「よく考えて来い」という社長、その言葉は自分が不利にならないようにするための言い方。「よく考えて来い」のそれは「何があっても会社に来るか、辞めるか」ということ。

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